📚【報告】第37回 若い読者のための短編小説読書会(安部公房『鞄』)

📚若い読者のための短編小説読書会

2025年5月15日(木)第37回目の短編小説読書会を行いました。

今回のテーマは安部公房『鞄』でした。

安部公房『鞄』のあらすじ

 青年が「新聞の求人広告を見た」と言って、私の事務所を訪ねてきた。だが、その広告は半年も前に掲載されたものだった。どうやら彼は、それだけ長いあいだ応募を迷っていたようだ。

 不思議に思って理由を尋ねると、彼はこう説明した——
「この鞄は、急な坂や階段の前に来ると急に動かなくなり、行き先を勝手に決めてしまうんです」

 ちょうど欠員があったので、私は彼を採用することにした。ただし、鞄が大きすぎたため、事務所に置いておくことを条件にした。

 青年が帰ったあと、私は試しに鞄を持ち上げてみた。歩いているうちに、足が次第に勝手に動きはじめ、気づけばどこを歩いているのかも分からなくなっていた。

初読の感想

まずは「審査員になったつもり」でこの作品を評価し、感想をシェアするところから始めました。

Mさん:★★★☆☆(★3.5)

    →進む道が決められている方が「自由」という矛盾が気になる。

Oさん:★☆☆☆☆

    →全編が夢なのではないかという不気味さがある。ここからの展開があったのだろうか。

Kさん:★★★☆☆(1人で読むなら★2くらい)

    →「自由」というものについて考えさせられる。みんなと議論すると面白そう。

Yuya:★★★★☆

    →読後に議論することまで想定して作られたかのような、問いかけがある作品だと思った。

今作の選定理由

安部公房の作品は、短くて読みやすいのに深くて不思議。ずっと前から「読書会で取り上げたら絶対に面白いだろうな」と思っていました。

実はちょうど1年ほど前、2024年4月の読書会では『デンドロカカリヤ』という短編を取り上げました。

「デンドロカカリヤ」というのは、小笠原諸島にしか生えていないとされる固有の植物。その名を冠したこの作品では、ある日突然、コモンくんという人物がこの植物に変身してしまうという、なんとも奇妙な事件から物語が始まります。

短いながらも、現実と幻想が入り混じるようなシュールな世界が描かれており、読後には「これはいったい何を意味しているのだろう?」と語りたくなる余韻が残ります。

詳しくは過去記事をご覧ください。

5月4日「植物の日」にあたるこの日には、小石川植物園の温室で『デンドロカカリヤ』が栽培されているという情報を頼りに、特別企画として現地を訪ねてみるイベントを行いました。

このように、安部公房の作品には、ただ読むだけで終わらず、誰かと感想を語り合いたくなる不思議な魅力があります。
そんな彼の世界を、久しぶりにじっくり語り合ってみたくなり、今回あらためてこの作品を選びました。

考察①:「鞄」に込められた寓意は何だろう

物語には、表面的なストーリーや描写の背後に、別の深い意味や教訓が込められていることがあります。

例えば、イソップ童話の『アリとキリギリス』は、夏に遊んでいたキリギリスが冬に困ってしまうというお話を通して、将来に備えて努力することの大切さを説いていますよね。

このように、物語・人物・出来事などを通して、直接的には語られない何か別の概念や道徳的メッセージを伝える手法を「寓意」と呼びます。寓意は、文学だけでなく、絵画や映画など、さまざまな表現手段で使われています。

では安部公房の『鞄』の中に登場している「鞄」にはどのような寓意が込められているのでしょうか。

青年が持ち歩いている鞄に対して、私は「職探しに持ち歩くにはいささか不似合いなーー赤ん坊の死体なら、無理をすれば三つくらいは押し込めそうなーー大きすぎる鞄」と描写しています。この物語の中で「鞄」はどのような役割を果たしているのかを考えるときに、ヒントになりそうです。

以下はあくまで私の一つの解釈であり、正解があるわけではありません。

一般的に、「鞄」というと、財布や身分証といった「その人を証明するもの」が入っていますよね。芸能人の鞄の中身をチェックするテレビ企画があったり、落とし物の鞄から持ち主が特定されたりするのも、鞄がその人の情報や個性を映し出すものだからです。

そう考えると、『鞄』という作品に登場する「大きすぎる鞄」も、単なる荷物ではなく、その人らしさ、個性、あるいは「アイデンティティそのもの」を象徴していると見ることができそうです。

では、青年が持ち歩いているその鞄は、なぜそんなにも大きく、不釣り合いなのでしょうか?
おそらく、それはもともと青年のものでなかった鞄が、なんらかのきっかけで彼の手に渡ったからではないでしょうか。
物語の中盤で青年の鞄が「私」の手に渡るように、この鞄もこれまでにいくつもの手を経てきた可能性があります。仮にこの鞄が何人もの手を渡り歩いてきたものであるとすれば、それは一個人の持ち物というよりも、時代や社会が抱える重荷そのものとも言えるかもしれません。

こう考えていくと、この「鞄」は単に個性やアイデンティティの象徴にとどまらず、鞄そのものが意志を持ち、持ち主の運命を握っているかのようにも見えてきます。まるで、東京ディズニーシーのアトラクションに登場する呪われた偶像「シリキ・ウトゥンドゥ」のように、鞄が持ち主を選び、指示するままに持ち主は流されている――そんな倒錯した主従関係が浮かび上がってきます

この青年は、鞄に流されるようにして就職面接に来ており、自分の意志で人生を歩んでいるというよりも、「鞄に運ばれている」のです。
だとすれば、この物語における「鞄」とは、現代を生きる私たちが無自覚に背負わされている社会的役割や過去のしがらみとして読むことができるでしょう。

そして、鞄に流される青年や「私」の姿は、そうした重荷に抗うこともできず、ただ受け入れ、従うしかない私たち自身の姿を映しているのかもしれません。

興味深いのは、この鞄が上り坂や階段に直面すると向きを変え、歩きやすい道を指示する傾向があることです。つまり、困難な道や努力を要する方向へは導かず、常に「楽な道」を選ばせているとも言えます。これは、単に「導かれている」だけでなく、努力や向上心に背を向ける無意識の選択を象徴しているのかもしれません。

考察②:自由とはなんだろう?

この物語の最後の一段落は、作者・安部公房から読者への問いかけのように響きます。まずはその部分を引用しながら考えていきましょう。

 べつに不安は感じなかった。ちゃんと鞄が私を導いてくれている。私は、ためらうことなく、何処までもただ歩きつづけていればよかった。選ぶ道がなければ、。迷うこともない。私は嫌になるほど自由だった。

(安部公房『鞄』)

べつに不安は感じなかった。ちゃんと鞄が私を導いてくれている。

一見すると安心感や信頼を表しているように思えます。けれどもその裏には、「自分で考えなくてよいこと」の心地よさ、つまり自己決定を放棄した安堵がひそんでいます。

「導かれている」という感覚は、不安から解放される一方で、主体性や批判的思考を手放すことにもつながりかねません。

加えて、物語の中で「鞄」は、上り坂や階段といった困難な道を避けるように方向を変えるという特徴を持っていました。つまり、鞄に従っている限り、「私」は努力を求められる場面を通らずに済むのです。

このことから、「鞄」は単なる導き手ではなく、向上心や挑戦からの回避、あるいはそれを望まない現代人の姿を象徴しているようにも読めます。

選ぶ道がなければ、迷うこともない。私は嫌になるほど自由だった。

ここには強烈な皮肉と逆説が込められています。

本来、「自由」とは選択肢があること、そして自ら選べることを意味します。しかしこの場面で描かれているのは、選ぶ必要のない状況を「自由」と呼ぶ、自由の概念のねじれです。

ここで言う自由とは、「選択の放棄によって得られる偽りの自由」であり、自己決定の責任を放棄することで得られた、代償付きの自由とも言えるでしょう。鞄に任せていれば迷わずに済むという感覚は、裏を返せば「自分で選びたくない」「選んで失敗したくない」という恐れや疲労の表れなのかもしれません。

安部公房はこの場面で、私たちにこう問いかけているようです。

「あなたが信じているその自由は、本当に“自由”と呼べるものなのか?」

選ばなくて済むこと、迷わなくて済むこと。それは確かに楽で快適ですが、その快適さと引き換えに、私たちは自分自身で生きる力や責任を手放してしまってはいないか

「鞄」という不条理な存在を通して安部が描いているのは、現代社会の中で私たちが無意識に受け入れている「自由の錯覚」であり、それに甘んじている私たち自身の姿です。

迷わずに歩きつづける「私」の姿は、日々の生活の中で選択することに疲れ、自らの意志よりも「流れ」に身を任せることを選んでしまっている私たちの写し鏡なのかもしれません。

まとめ

今回の読書会では、安部公房の『鞄』を取り上げ、「鞄」が象徴するアイデンティティや社会的役割、そして現代における「自由」の意味について深く読み解きました。

鞄に導かれて歩き続ける登場人物の姿を通して、私たちが日々の生活の中でどのように選択し、どのように「選ばされて」いるのかが浮き彫りになったように思います。また、困難を避けるように進む鞄の性質からは、努力や向上心に背を向けてしまう現代人の姿も重なって見えました。

参加者の皆さんの鋭い視点と多様な意見によって、『鞄』という短い物語に込められた寓意を、より深く、豊かに読み解くことができました。ご参加ありがとうございました。

次回の読書会も、新しい物語と出会い、語り合える時間になることを楽しみにしています。初めての方もお気軽にご参加ください!

次回のご参加も心よりお待ちしております。

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